NFTについての美術界の視点
NFTの市場が好調です。
普通の小学生がNFTで儲けようと書き始めた絵が実際に4000ドルで売れていたり、昨日も、Testとだけ書いた絵が1000ドルを付けるなど、やはり異常とも思える状態がつづいています。
※FTXで販売された[test]の絵https://twitter.com/FTX_Official/status/1434753148317433858
NFTは、いわゆるアートであると一般には紹介されています。どうしてこんなデジタルの落書きに価値があるのかというのはみなさんも疑問に思う点だとおもいます。
アートとしての価値が今後生まれるのか?それとも単なるマネーゲームなのか?
今日は、そのあたりを書いてみたいとおもいます。
私(大石)は、実は現代美術を長らくコレクションしており、クリプトより長くやっており、業界内ではそれなりに有名になってきています。アートとクリプトの両方に精通した人間はあまり居ないとおもっております。
●NFTにアート性はあるのか?
いわゆる現代アートと呼ばれるものの中にも、へんな作品は多いです。ゴミにしか見えない作品や、子供の落書きみたいなのも多く、はたから見るとNFTの絵と変わりないかもしれません。
有名な現代アートの作品にデュシャンの「泉」というものがあります。これは、ただの便器を置いただけの作品です。これが発表された当時も、なんでただの便器がアートなのかと批判がおき、これを実例にして、ドット絵が高値で取引されているの今後はアートとして認められるかもしれないといっている人たちもいます。
https://ja.wikipedia.org/.../%E6%B3%89_(%E3%83%87%E3%83...
有名な美術家の村上隆も、「Andy Warholのシルクスクリーンもゴミ扱いされてたが、後でアートになったので、ゴミに見えるNFTもアートになる可能性を秘めてる」と言っておりNFT界からはよく引用されているようです。
しかしながら、私はそうなるとは思えません。というのも、アートが、アートとして成立するための最も大事な条件というのは、そこになんらかの美術的な文脈があるかどうかなのです。その美術的な文脈というのは、アートとしてのステートメントのことです。たとえば、「泉」においては、アートとして成立する最低限の要素は何かという問いかけがステートメントであり、そのために市販の便器というものを敢えてつかい、それを美術の公募展に出品するという行為をふくめて革命的なステートメントになったわけです。
ステートメントがあるかないか、これが美術と、イラストや工芸品などとを分ける境目です。
一方で、NFTにはそうしたステートメントがあるようには思えません。ですから、美術と呼べるかというと、あきらかに美術とは呼べないというのが結論だとおもいます。
ではなぜ村上はNFTを好意的に評価しているのかというと、おそらくは、いまのNFTは美術ではないが、美術作家がNFTをつかって美術のステートメントを構築する要素があるのではないか。つまり、あたらしい表現の手法として将来可能性があるのではないか?という意味だと理解しています。
これを、今のNFTに対して村上隆が評価をしていると読んでしまうと読み違いになります。
●NFTとしてのナラティブとコレクション性
では、いまのNFTは何なのでしょうか?考えてみると、別にアートではないが、コレクティブであるものは世の中に沢山存在します。たとえば、レアポケモンカードやスニーカーなんかはまさにそれです。ほかにも、おもちゃや、時計、万年筆、クラシックカーなど、アートではないがコレクションの対象となり、売買のマーケットがあって、実際に高値で取引が成立しているものは沢山あります。
NFTはそのうちの一つだと考えればおかしくはないでしょう。レアポケモンカードなのです。
こうしたコレクティブ市場では、マーケティングがかなり効きます。時計なんかはメーカーが需給をしぼったり、マーケティングをしていて、高騰を演出していますが、本質的にはたいした価値がないものの好例です。NFTでも、マーケティングや大衆が受けるものが値が上がります。草コインや、某中間通貨のマーケティングと一緒だと理解しています。
では、なにがレアかというと、たとえばVISAが収集したドット絵ですが、これはもともと無料で配られたものですが、世界初のドット絵ということでいまではレア度が上がって値段がついています。つまり、NFTとしてのレア度のナラティブというのは、アートの文脈とは別に存在しており、それによって値段が上がるというのは変なことではないようにおもいます。
https://twitter.com/VisaNews/status/1429745230023208969
レアポケモンカードの未開封品が1億円とかで取引されているのをみるにつけ、この手の市場には高い安いという絶対的な基準はありません。結局は需給でしかないように思います。
●とんかつ売買
さて、NFTですが、実際にはレアポケモンやおもちゃといったコアなマニアの世界でコレクションとして価値がついているというよりは、いまのところは単なる転売目的で値段がつりあがっています。NFTは自己売買が簡単なので、値段があがっているように見せかけて、まちがって他人が釣られて買ったら丸儲けみたいなScamが成立します。小学生がNFTを始めてみたというのも、まんがいち買うひとが現れたら丸儲けみたいな感覚で、実際に買うひとが出てきただけです。
こういう市場を私は「とんかつ売買」と読んでます。とんかつは普通なら1000円くらいで売られているもので、3日もすれば腐って食べられなくなります。しかし普通のとんかつでも、なぜか5000円で買うひとが現れ、さらに10万円で買うひとがあらわれ、それをみて100万円で売れるだろうと買いに入る養分がいるから、とんかつですら高値でトレードされます。NFTはまさにそうです。しかし、とんかつに賞味期限があるように、NFTも賞味期限が訪れるでしょう。
わたしは「後から高く買うひとがいるから」というグレーターフール理論だけを頼りにしたトレードは持続性がないとおもいます。たまたま自分が宝くじをあてたから、宝くじは儲かる投資だといっているようなものです。NFTには、自分が趣味のコレクティブとして集めたいとおもう以上のお金を払うべきではなく、いずれ、NFTが長期的に健全なコレクティブ市場に育っていくなら、そうしたレベルの値段に落ち着かざる得ないでしょう。
以上、美術コレクターからの視点でした。(大石)
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