本コラムは【2021/10/22】サイファーパンクとデジタルキャッシュの歴史①の続きです。

暗号技術、暗号化権利をめぐる政府との戦いを制し、ネット上のコミュニケーションにおけるプライバシーを確保したサイファーパンクは、今度はネット上の支払決済におけるプライバシーを守るべくデジタルキャッシュ創造に邁進します。

以下、前編と同様、Bitcoin Magazine の “The Quest for Digital Cash”(デジタルキャッシュを追い求めて)を基にビットコイン前のデジタルキャッシュの歴史を振り返り、それぞれがビットコインの誕生にどのように寄与したのかを見ていきます。

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DIGICASH(1985年)

1983年にブラインド署名を考案したカリフォルニア大学バークレー校の暗号学者 David Chaum 氏は、公開鍵暗号を利用したデジタルキャッシュの開発を模索していました。1985年に成果をまとめた論文は “Security Without Identification: Transaction Systems To Make Big Brother Obsolete”(匿名のセキュリティ:政府を陳腐化するための取引システム)というタイトルからして、電子決済のプライバシーを守ることで監視国家の台頭を阻止するというサイファーパンクの気概が感じられます。

1989年、Chaum 氏は自ら構築した理論を社会実装するため、オランダのアムステルダムに移住して会社を設立、DigiCashをローンチします。銀行預金を検閲耐性のある暗号トークン変換し、銀行システムの外で個人がパソコンを使って送受金や保管できるサービスの提供を目指しますが、資金調達につまずき、事業は頓挫します。

DigiCashがサイファーパンクに残した最大の教訓は、デジタルキャッシュは単一障害点となる中央管理体を持ってはいけないということでした。中央集権的なデジタルキャッシュは規制圧力に弱く、運営会社の倒産リスクをともなうだけでなく、運営組織が通貨供給量を任意に操作できるという致命的欠陥を抱えています。

HASHCASH(1997年)

現 Blockstream CEO の Adam Back 氏が1997年にスパム対策として考案した Hashcash は、マイニングの基礎技術としてビットコイン・ホワイトペーパーに引用されています。サトシ・ナカモトは「プルーフ・オブ・ワーク」を採用し、新規コイン発行にエネルギー消費を義務付けることで貨幣としての健全性と公平性を担保しました。このプルーフ・オブ・ワークの起源が Hashcash です。

しかし、HashCash には処理能力の高いコンピュータを使えば貨幣供給を急増でき、ハイパーインフレを引き起こすという問題がありました。この問題は10年後、サトシによって解決されます。

B-MONEY(1998年)

1998年、コンピュータエンジニアの Wei Dai 氏は「匿名性が保証された分散型デジタルキャッシュ」B-moneyを発表し、「個人の追跡、特定が不可能な電子決済およびネットワーク外部リソースに依存しない契約履行スキーム」を提案します。B-money には Hashcash のプルーフ・オブ・ワークが採用されていました。

残念なことに、B-moneyは未熟なまま実用には至らなかったものの、Dai 氏が残した文献は、その後のデジタルキャッシュ開発に大きく貢献しました。

BIT GOLD(1998年)

B-money と同じ年、暗号学者 Nick Szabo 氏によって Bit Gold が提案されます。Szabo 氏は Chaum 氏の DigiCash で働いた経験から、中央集権的な通貨発行体の脆弱性を痛感していました。そのため、ドルやユーロといった国家通貨と違って中央管理体を持たない金をデジタル空間で再現し、既存通貨とは異なる独自の価値提案を持つデジタルゴールドを基盤としたパラレル金融システムの構築を目指します。

Szabo 氏は Bit Gold に provable costliness (証明可能な犠牲)という特徴を持たせます。例えば、金のネックレスの製作には多大な時間とリソースを投入して金を採掘した上でネックレスに加工する必要があります。金のネックレスの所有権とは、こうした犠牲を払った、または犠牲に見合う対価を支払ったことの証明でもあります。Szabo 氏は同様の provable costliness をデジタル世界に持ち込もうとしたのです。

Bit Gold も残念ながら実装には至りませんでした。しかし、金に代表される生産が難しいハードマネーという概念と、ハードマネーを起点とした金融システム改革をサイファーパンク運動に結びつけた点で Bit Gold の意義は非常に大きいです。

RPOW(2004年)

サトシ・ナカモトが初めてビットコインを送った相手かつ ”Running bitcoin” という伝説的 tweet で有名な Hal Finney 氏は、 Bit Gold に触発され、2004年に Reusable Proof of Work (RPOW) を考案します。RPOW は provable costliness を持つハードマネーをトランザクション検証を目的としたオープンソースサーバーで構成するネットワークに融合しました。

Finney 氏は自らが運用するサーバーでプロトタイプをローンチしますが、RPOW は非常に完成度の高いソフトウェアであったためネットワークをスケールすることも可能でした。ただ、当時はこうしたデジタルキャッシュへの需要はほとんどありませんでした。

ビットコイン(2008年)

2008年10月31日、サトシ・ナカモトはサイファーパンク・メーリングリストにビットコイン・ホワイトペーパーを投稿します。Back氏の Hashcash、Dai氏の b-money をはじめ先人の論文を引用したホワイトペーパーの冒頭の一文は、サイファーパンクが長年追いかけた夢の実現を期待させるものでした。

「P2P 電子キャッシュであり、ネット上の支払決済を金融機関を介在せず、支払人と受取人という当事者間で直接行うことができる。」

サトシは前述の HashCash のハイパーインフレ問題を「難易度調整」によって解決しました。ネットワーク全体の総演算能力に応じて約2週間毎に新規コイン発行の難易度を見直す難易度調整は、ビットコインの革新性そのものと言っても過言ではありません。

Bitcoin Magazine のライターでデジタルキャッシュの歴史を研究する Aaron van Wirdum 氏は Hashcash について以下のように述べています。

「二重支払い問題を非中央集権的な方法で解決するとともに、中央発行体が不要な新規コイン発行システムを実現した。」

Hashcash がなければ、非中央集権的な電子キャッシュシステムは「存在し得なかっただろう」。

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10月31日のビットコイン13回目の誕生日を祝福する意味でビットコイン前史を振り返ってみましたが、いかがだったでしょう?

個人的には、サトシの前にネット上のプライバシーを確保するために国家権力に挑戦し続けたサイファーパンクの存在と、彼らのデジタルキャッシュへの熱意を知ることでビットコインへの感謝の念が深まりました。同時に、彼らが必死に守ろうとしたプライバシーの重要性を再認識し、ビットコインのプライバシー技術をしっかり勉強して使いこなせるようになろうと決意を新たにしました。