数年前から本稿でも取り上げているOrdinals論争、Knots論争、OP_Return論争という形でくすぶり続けている一部のビットコインコミュニティ内の派閥争いが続くなか、ついにコンセンサスレベルでビットコイン上のデータ記録に制限をかけようというソフトフォーク提案「BIP-110 Reduced Data Temporary Softfork」が出てきました。
論争の経緯は以下の記事にまとめています。
OP_Return戦争再び:ブロックチェーンにデータを刻む機能について再燃する議論
今週、ビットコイン関係のツイッターがある話題で持ちきりになっています。GitHubのBitcoin CoreリポジトリにPeter Todd氏が提出した以下のプルリクエストです。 Remove arbitrary limits on OP_Return (datacarrier) outputs by petertodd · Pull Request #32359 · bitcoin/bitcoinAs per recent bitcoindev mailing list discussion.
Also removes the code to enforce those limits, including the -datacarrier and -datacarriersize config options.
These limits are easily bypassed by…GitHubbitcoin この提案は、現在Bitcoin
BIP-110を提案した人は上記の派閥争いでいうKnots陣営(ビットコインに任意のデータを書き込むユーザーに強い抵抗を示す派閥)で、提案内容はこれまでコンセンサスレベルで認められていたデータ記録方法をいくつか禁止しようというものです。
特に制限の手法が特徴的で、他にも用途のある一部のオペコード(ビットコインスクリプトの関数)やTaproot Annexというトランザクション内の使途未定領域の使用を禁止するなど、Ordinals Inscriptionsなどが活用してきた「裏ワザ」による任意データ記録も工夫して排除しようとしています。もちろん、それに伴って副作用として実行できなくなる「正常な」トランザクションも存在しうるので、1年間の時限付き措置というソフトフォークとしては初めての形をとっています。
ソフトフォークだからといって、チェーン分岐や混乱が発生しないわけではありません。実際にBIP-110が有効化される可能性は非常に低いと見積もっていますが、これから半年ほどで議論が活発になったときに正しい判断が下せるよう、今日は背景知識としてBIP-110について紹介し、なぜ私は失敗する可能性が高いと考えているのか解説します。
フォークする権利と、ビットコインの価値
本稿の読者の中にどれくらい視聴者がいらっしゃるかわかりませんが、今月からビットコイナー反省会のレギュラーになりました。先日の放送で視聴者から寄せられた質問に「国家等が51%攻撃して不正なトランザクションを含むチェーンを伸ばしたらハードフォークするのか?」というものがありました。 これは表面的には国家による攻撃ベクトルの検討、あるいはノードがトランザクションやブロックをどのように扱うかについての質問ですが、この質問への回答を考えるとビットコインの本質に突き当たるように感じたので今日はビットコインでなぜフォークが発生するのか、そしてフォークできることがなぜ本質的に重要なのかについて書きます。 💡ちなみに冒頭の質問に対する私の回答をまとめると「不正なトランザクションが含まれるのであれば正常なノードは認めないから国家のノードがハードフォークした形になる」になります。 Don’t Trust, Verify ビットコイナーがよく使うスローガンで一番有名なフレーズかもしれないDon’t Trust, Verifyというものがあります。和訳は「信用せず検証すべし」、でしょうか。 ビット
混乱の原因にもなりえますが、意見が違った際にソフトフォークやハードフォークといった形で「同じ意見の人たちでルールを変えていける」こともビットコインの大きな特長の1つです。
BIPに採択されたからといって、実現するとは限らない まず、あまり広く知られていない前提を1つクリアにしておきます。
BIPに採択されたからといって、その提案がビットコインに採用されるとは限りません。なんなら、必ずしもいいアイデアとも限りません。BIPsはあくまでビットコインに関連する仕様の提案などを1か所にまとめておくための便利なリポジトリであり、それ以上のものではないのです。
GitHub - bitcoin/bips: Bitcoin Improvement Proposals
Bitcoin Improvement Proposals. Contribute to bitcoin/bips development by creating an account on GitHub.
ブロックサイズ拡張系のBIPsも大量にあります
そもそも、BIPsは採択プロセスが遅かったり、BIPsリポジトリの管理者(エディター)の好き嫌いに左右されることが数年前から問題視されています。例えば、一時期BIPsリポジトリを管理していたのがBitcoin Knotsの開発者であるLuke Dashjrだけになったことがあり、彼はKnots陣営の旗振り役の1人です。そのためか、OrdinalsのBIPなどは3年経っても採択・附番されていません。
そのためBIPs以外の形で仕様を公開するプロジェクトも徐々に増えています。
BIPを通したビットコイン改善プロセスはもう終わり?BINANAとは
読者の皆さんのほとんどはBIPという用語をご存知かと思います。Bitcoin Improvement Proposal (BIP)とはビットコインに対してなにか変更(新しい機能や仕様など)を加えるためのプロセスで、誰でも参加できる状況で、慎重にゆっくりとその是非を検討するための仕組みとなっています。 ところが、近年このBIP採択パイプラインが非常に遅いことに不満を持つ開発者が増えています。また、昨年注目を集めていたコベナンツに関連してソフトフォークをSignetで実際に動かしてみて評価するためのクライアント:Bitcoin Inquisitionというものも生まれています。このBitcoin InquisitionにおいてBINANAというBIPを置き換える仕様追加プロセスが導入されました。 今日はBINANAがBIPプロセスとどう異なるのか、そしてBitcoin InquisitionとBINANAが描くビットコイン開発の今後のあり方を解説していきます。 ・BIPプロセスの問題点 ・BINANAとBitcoin Inquisition ・これからのビットコイン開発はどうなる
💡
なお、BIPsエディターの数は今はかなり増加し、その上BIPsの新しい採択プロセスBIP-3ではエディターが判断を下す部分が減るなど、BIPsプロセス自体も改善されてきています。
BIP-110の狙いは「ビットコイン上のデータ保管を難しくする」こと さて、まずはBIP-110の目的と内容を見ていきましょう。なんと公式サイトがあります。
BIP-110: Temporarily Limit Arbitrary Data in Bitcoin
A one-year consensus soft fork to limit arbitrary data storage in Bitcoin, protecting its purpose as sound, permissionless money.
「任意のデータ記録をコンセンサスレベルで制限し、ビットコインの目的である送金用途に再びフォーカスする」。これだけを聞けば、多くのビットコイナーは同意するのではないでしょうか。私もビットコインの本領はお金のネットワークだと考えています。
冒頭で述べたように、この提案の背景として、OrdinalsやBRC-20の流行によってビットコインの送金手数料がたびたび暴騰した2023~2024年があります。実際、このタイミングでビットコイン送金をしたり、ライトニングチャネルの閉鎖をすると場合によっては1万円近くかかった人もいたでしょう。通貨としてのユーザビリティにとっては明確にマイナスです。
BIP-110に同意するかしないかはともかく、提案自体はビットコインをお金として使えるものとして維持する必要性からくる、善意のものだと思います。
過去のソフトフォークと比べて支持が集まらない理由 そんなBIP-110は、SNS上では支持する声が少なくないように感じられますが、実際のところ無事に導入される確率は低いと考えています。いくつか理由がありますが、ここに簡単にまとめます:
①まず、現状でビットコインは特に問題に直面していない ビットコイン上で任意のデータ保存を伴うプロトコルが流行したのは主に2023年の話で、現在そのようなアクティビティは手数料に上昇圧力をもたらすほど盛んではありません。そのため、承認待ちのトランザクション数もここ数年で最少レベルに達しています。その結果として手数料水準は低下し、むしろこれまでで一番ビットコイントランザクションを安く発行できる状況です。
オンチェーンの送金手数料がさらに安くなった理由とその影響は?
最近mempool.spaceをご覧になった方は気づいているかもしれませんが、ビットコインの手数料相場がこれまでより1桁安くなっていることが出てきました。従来であればトランザクション手数料の下限は1 sat/vbyteだったので、どれだけトランザクション需要が少ないタイミングでもそれだけ手数料を払う必要がありました。しかし、最近では0.1 sat/vbyteのトランザクションすら見られます! 今日はこの変更がどういう経緯で行われたのか、そしてどういう影響が見込まれるかを解説します。 ・Bitcoin Core 30において規定値が変更予定。それに先立ち対応するマイナーも ・1 sat/vbyteが手数料相場の「下限」だった理由と、制限緩和のメリットデメリット ・前もって対応しているマイナーは損をしているのではないか? Bitcoin Core 30において規定値が変更予定。それに先立ち対応するマイナーも 10月にリリースが予定されているBitcoin Core 30をめぐる議論はこれまでOP_Returnの上限解放に関するものがほとんどで、本稿でも取り上げていました。
「急いで手を打つ必要があるため、よりよい方法が見つかるまで一部のユーザーには不便をかけるかもしれないが、その代わり1年間の時限付き措置とする」と書いてあるBIP-110の文言や、SNS上の支持者の発言を見ていると急いで手を打たなければビットコインが壊れてしまう存亡的危機のように感じますが、その実感はないのが現状です。
最近の「スパムTX」の状況を見ると、トランザクション数にして約半分、手数料に占める割合でいうと4%というデータもあるので、かなり緊急性の低い(ほかのトランザクションが全然ないときに採掘される)トランザクションが多数あることがわかります。
これらが高い手数料だったとしても存在するトランザクションかはわかりません。もしかすると排除したほうが将来的に普通の送金がしやすい可能性だってあります。しかし、現状としては大した手数料圧力になっていないため、BIP-110の支持を集める理由にはなりにくいでしょう。
②根本的な対策はビットコインの理念を曲げずには不可能 「スパムTX」の判別方法の問題もあります。ここにコンセンサスを得られなければ、コンセンサスレベルでスパムを排除することはできません。
しかし、ビットコインがトランザクションデータを保存する以上、任意のデータ保存プロトコルをすべて排除することも困難だったりします。たとえ猛威を振るったInscriptions, Runesなど特定のプロトコルの仕様をBANする(=実質的に凍結する)ことも考えられますが、その後新しい方法で迂回されるようないたちごっこになる結末が見えます。
もちろん、BANされるリスク自体が抑止力になり、投機圧を弱め、これらのプロトコルの原動力である草コイン投機を抑える可能性もあると思います。しかし、そのために数か月に1回、新しいBAN条件のようなものをソフトフォークで導入するようなことはビットコインの自由主義の理念に反する上に、ロジスティクスの面でも技術的負債の面でも難しいと思われます。
個人的には、新しい技術の芽も摘んでしまうことを危惧します。
③導入方法のスジが悪い ビットコインへのソフトフォークの導入方法は昔から揉めるトピックです。
2017年にはSegwitでさんざん揉め、それを踏まえて色々な導入方法を画策してもいい方法が見つからず、結局2021年のTaprootはSegwitと同じ、マイナーの良心に依存しすぎた導入方法で導入できてしまいました。(ハッシュレートの90%が同意しないと導入できない)
その後、Jeremy Rubin氏がOP_CTVについて似たような導入方法を提案したところ、時期尚早ということで大変な批判を受け、ビットコイン開発から引退してしまいました。
OP_CTVとソフトフォーク導入方法
先週は寄稿をお休みさせていただいたので前回から間隔が空いてしまいましたが、その間にビットコインの世界は一大論争が巻き起こっています。本稿でも何度か登場している独創的なビットコイン開発者、Jeremy Rubin氏が自身の提案するOP_CTVという機能のソフトフォークによる導入をSpeedy Trial方式で目指すと発表したのです。 ところが同じくSpeedy Trial方式で導入されたTaprootと異なり、まだユーザーやビットコイン開発者の中でOP_CTVに対して広く支持が得られていないこと、Speedy Trial自体がソフトフォークの導入方法として好ましくないことが意見の対立につながっています。 今日はOP_CTVの概要と論争となっているポイントを整理し、個人的な意見も交えながら現在の論争がビットコインの将来にどのような影響を与えうるかを考察します。 TAPROOT導入時のおさらい Taprootの導入にあたって、2017年にユーザーの大半が支持したSegwitの導入にマイナーが抵抗したことを踏まえ、導入に際してマイナーに依存しないソフトフォークのアクティベーション方法
このように、ソフトフォークの導入方法は難しいトピックですが、BIP-110もチェーン分岐の危機を顧みずハッシュレートの閾値を55%に設定し、一方的にソフトフォークを目指すと宣言している状態です。これまでの例でいえばコミュニティの反対によって失敗するパターンです。
💡
そもそもマイナーに依存した導入方法なのに、「スパムTX」から手数料をもらえるマイナーがBIP-110に同意する理由もいまいち想像がつきません。
④市場は9月1日のアクティベーション確率を3%程度と見積もっている 客観的なデータとして、市場による評価も参考にすべきでしょう。
ビットコインでは過去のソフトフォークやハードフォークの際にも、実際にチェーン分岐の可能性があるときには事前に予測市場が開設され、フォーク後のコインの価値が可視化されていました。2017年秋のSegwit2xのときはフォーク後のコインの価値がほぼゼロに落ち込んだことがハードフォークのキャンセルにつながったとみられます。
今回はフォークコインの価値ではなく、BIP-110に定められたアクティベーション条件が2026年9月1日までに満たされるか(難易度調整期間内のブロックの55%がBIP-110の準備を表明するか)という内容で、現在は3%ほどで取引されています。
Will BIP-110 activate and be enforced on Bitcoin by Sept 1, 2026?
Definition of ActivationThis market resolves to “Yes” if, at 11:59:59 PM PT on September 1, 2026 (06:59:59 UTC on September 2, 2026), the Bitcoin blockchain with the greatest cumulative proof-of-work is fully compliant with BIP-110 consensus rules.“Compliant with BIP-110” means that, at the snapshot time:The heaviest proof-of-work chain contains no blocks that violate BIP-110 constraints from the BIP-110 activation point onward, including (but not limited to):The 34-byte ScriptPubKey limitThe 83-byte OP_RETURN limitFailure ConditionThis market resolves to “No” if, at 11:59:59 PM PT on September 1, 2026 (06:59:59 UTC on September 2, 2026), the Bitcoin chain with the greatest cumulative proof-of-work:Includes one or more blocks that violate BIP-110 rules.ExclusionsNo consideration is given to:Earlier temporary forks or violationsWhether BIP-110-enforcing nodes are following a different chainMiner intent, signaling behavior, or future scheduled enforcementOnly the state of the heaviest chain at the deadline is relevant.Chain Selection Rule“Bitcoin” is defined strictly as the chain with the most cumulative proof-of-work at the deadline.Software versions, exchange listings, ticker symbols, or economic signaling are irrelevant to resolution.Lock-In and SignalingSignaling or lock-in without actual enforcement by the heaviest chain at the deadline results in a “No” resolution.Implementation FailureIf BIP-110 is not enforced by the heaviest chain at the deadline due to:Software bugsPartial or incomplete deploymentMiner non-adoptionthe market resolves to “No.”Temporary Nature of BIP-110Because BIP-110 is a temporary soft fork, a “Yes” outcome requires only that the heaviest chain enforces BIP-110 at the deadline. Continued enforcement after the deadline is not required.Verification SourcesResolution will be determined using:Public Bitcoin block explorers to identify the heaviest chain and inspect block contentsChainwork data to confirm cumulative proof-of-workThe Bitcoin BIPs GitHub repository as the authoritative source for BIP-110 rulesDetailed Market TitleWill BIP-110 (Reduced Data) be consensus-enforced on the Bitcoin mainnet by the chain with the greatest cumulative proof-of-work by September 1, 2026?
もちろん流動性が大きい市場というわけではありませんが、体感値としても妥当な水準かなと思います。
以上の理由から、BIP-110は失敗することがほぼ確実だと私は考えています。
ソフトフォークといえども、失敗時のリスクは大きい これも誤解されがちな点ですが、ソフトフォークであったとしても「少数派によるソフトフォーク」だとチェーン分岐が起こり、平気で失敗します。それが理由でBIP-110はマイナーによるシグナリング閾値をハッシュレートの50%未満に設定できません。
チェーン分岐が起こると取引所、ウォレット、マーチャント、あらゆるところで混乱が起こってしまいます。別れるべくして別れたようなフォークでも、混乱自体はエコシステムにとってポジティブな影響ではありません。
もちろんフォークができること自体はビットコインにとって非常に重要な安全機構です。必要とあらばチェーン分岐して、別のルールで運営される通貨を使う選択肢があることで、他人によるルール変更を心配する必要がなくなるためです。
フォークする権利と、ビットコインの価値
本稿の読者の中にどれくらい視聴者がいらっしゃるかわかりませんが、今月からビットコイナー反省会のレギュラーになりました。先日の放送で視聴者から寄せられた質問に「国家等が51%攻撃して不正なトランザクションを含むチェーンを伸ばしたらハードフォークするのか?」というものがありました。 これは表面的には国家による攻撃ベクトルの検討、あるいはノードがトランザクションやブロックをどのように扱うかについての質問ですが、この質問への回答を考えるとビットコインの本質に突き当たるように感じたので今日はビットコインでなぜフォークが発生するのか、そしてフォークできることがなぜ本質的に重要なのかについて書きます。 💡ちなみに冒頭の質問に対する私の回答をまとめると「不正なトランザクションが含まれるのであれば正常なノードは認めないから国家のノードがハードフォークした形になる」になります。 Don’t Trust, Verify ビットコイナーがよく使うスローガンで一番有名なフレーズかもしれないDon’t Trust, Verifyというものがあります。和訳は「信用せず検証すべし」、でしょうか。 ビット
もしレピュテーションへのリスクも含め、そこまでする覚悟があるのであれば、ぜひBIP-110にはソフトフォークに突き進んでほしいですが、自分にはそこまでの覚悟があるように見えないところが引っかかります。
無限に終わらない「スパム」論争よりも前向きで重要な取り組むべき技術的課題はたくさんあるので、そちらに集中できる環境が整うことを願っています。
加藤 規新
1994年生まれ、シカゴ大学でGISやコンピューターサイエンスを学び学士号取得。2016年末よりビットコインに関するリサーチや実験的な開発をしており、今までにいくつかのブログやサロンで解説を担当。 ビットコインについて一番好きなところはパーミッションレスに誰でも使うことができること。 2024年11月より日本ビットコイン産業株式会社取締役。
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